城下町彩る山車行列 さんのへ秋まつり

2019/11/09 - ファンクラブ通信

秋の訪れ告げるイベント

青森県三戸町で毎年9月に開催される、さんのへ秋まつり。城下町の風情を残した、歴史情緒あふれる町の中心部を豪華な山車が練り歩き、秋の訪れを告げる。今年はNPO法人町観光協会の主催で、6~8日の3日間開催された。

起源は三戸大神宮の例祭

戦国時代に北東北で有数の勢力を誇った三戸南部氏が、三戸城を築いた同町。近年は城跡の発掘が盛んだ。本丸への入り口となる大御門や、本丸の巨大な石垣が発見されるなど目覚ましい成果を挙げており、町が国史跡指定へ向けて力を入れている。

さんのへ秋まつりは「東北のお伊勢様」として町内外の人たちに親しまれる、三戸大神宮の例祭が起源とされる。江戸時代中後期の1761年に、町民から神輿(みこし)が寄進されたとの記録が残っており、この頃には前身の神輿渡御(とぎょ)が行われていたと考えられている。

山車運行が始まった時期は分かっていないが、江戸時代後期の1826年の文書には、現在の山車に当たる屋台に関する記述が登場。総勢400人以上の大行列だったと伝える。

独自に発展したからくり

ちなみに山車祭りは、近隣の青森県南や岩手県北の地域にも数多く見られる。郷土の歴史に詳しい専門家によると、この一帯の山車は、数体の人形を飾って扇のように横に広がる「八戸型」と、大型の人形を真ん中にどんと据えた縦長の「盛岡型」の2種類に分けられるという。

八戸型は沿岸地域に多く、盛岡型は内陸が中心。三戸は盛岡型の流れをくみ、昔は大きな人形を神輿に載せて担いでいたとか。八戸市の山車制作者との交流も深い現在は、二つの文化が溶け合う。

一方、三戸で独自に発展したからくりもある。山車の最上部には「ドンデン」と呼ばれる仕掛けがあり、1㍍ほどの板に描かれた絵が、根元から90度折れ曲がる。街中に張り巡らされた電線を避けるための工夫で、開閉は人力だ。

豪華7台が出陣

行事は山車のお通りで開幕。町中心街の約3㌔を往復するコースで、今年は戦国武将や神話をテーマに、各町内会が制作した7台が出陣した。太鼓や笛などのゆったりとしたお囃子(はやし)に合わせ、「よーし、よいさー」の伸びやかな掛け声を日が暮れるまで響かせた。

それぞれの町内会が、地元で披露する「音頭上げ」も祭りを彩る。商売繁盛や地域発展を願い、独特な節回しで口上を述べ、まるで歌のようだ。長老たちは名人芸の域。若者たちも音頭上げができるようになれば、一人前と認められるに違いない。

通の観客が楽しむのは、山車の見送りだ。折り返し地点を過ぎると、運行ルート上に山車小屋がある町内会は、その前で足を止め、追い越して行く他の山車を拍手などでたたえる。

懇意にする町内会同士は互いの山車を向かい合わせ、囃子の共演でエール交換する。最終日の「お還り」は特ににぎやかで、名残を惜しむかのように熱量を上げる。来年の“再会”を約束し合い、最後に抱擁を交わして別れる姿は、町民ならずとも心にしみる。

伝統守る新たな試み

祭りの主役は山車ばかりではない。運行が一休みとなる中日は、町中心街で地元の子どもたちや婦人会によって、吹奏楽やよさこい、流し踊りなどのパレードが催される。夜は歩行者天国となり、露店で買い物を楽しむ親子連れらであふれる。各山車小屋はライトアップされ、見物客を迎える。

地域の人たちに愛される伝統の祭りだが、担い手不足にも直面する。かつては10台以上の山車が練り歩いたものの、年々数を減らしている。

そんな中、今年は町役場が一肌脱いだ。町制施行130周年を記念して町職員厚生会が山車を制作し、最終日のお還りに初参加。各町内会の7台と共にフィナーレを飾った。

山車制作や運行には、人手不足で参加できなくなった町内会の人たちも協力し、新たな受け皿となった。同会の多賀昭宏会長(47)は「来年はどうなるか決まっていないが、個人的にはこれを機に続けていければと思う」と話していた。

(※本文中の年齢は取材時点)

【デーリー東北新聞社三戸支局支局長 金澤一能】

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