「祈り」と「癒やし」の空間 霊山・寺下観音を巡る

2020/03/22 - ファンクラブ通信

山麓のオアシスへ

青森県階上町赤保内の寺下観音は、階上岳の北東山麓に位置し、観音堂や潮山(うしおやま)神社などを総称した霊山一帯を指す。9月下旬、寺下観音の管理者で、潮山神社の宮司でもある桑原一夫さん(66)に案内していただきながら境内を歩いた。
辺りは背の高い木々に囲まれ、水のせせらぎだけが静かに聞こえる。まるでオアシスのような空間には、穏やかな時間が流れていた。川に架かる石橋を渡り、朱色の鳥居をくぐって石段を上った先に、木造の観音堂があった。

青森県南地方や岩手県北地方の観音札所を巡る「奥州南部糠部(ぬかのぶ)三十三観音巡礼」では、寺下観音が第一番礼所となっており、古くから地域内外の巡礼者が訪れてきた。お堂の隣には、33体の石仏がずらりと並ぶ。これらは「西国(近畿)三十三観音」の霊場から土を持参して埋めたと伝わることから、順に拝むと西国三十三観音の功徳も受けられるとされる。

高台の観音堂からは、川を挟んだ対岸に潮山神社の社殿が見える。両者にまつわる歴史には、複雑な経緯がある。桑原さんによると、奈良時代の724年、大僧正・行基が寺下観音の前身となる海潮山応物寺を創建。寺の下に観音像を納めたことから、「寺下観音」という呼称が生まれたそうだ。
その後、神様も祭られて神仏習合の地となった。しかし、明治時代の1871年に仏教を排斥する廃仏毀釈(きしゃく)運動で応物寺は取り壊され、観音堂の跡に潮山神社が建設された。観音様は町外に預けられていたが、3年後に桑原家の願い出によって、現在の位置に観音堂が建てられたという。

トレッキングで自然体感

川沿いを歩いていくと、清らかな水をたたえる寺下の滝があった。近くには、かさのような石が積まれた「舎利塔」や、不動明王が彫られた「瀧不動」も。
参道には数々の石仏や修験道の修行の跡が残っているといい、桑原さんは町と協力して、寺下観音一帯を散策する〝祈りの道〟のコース作りを進めている。裏山の日向山には五重塔跡があり、石段を上った山頂には日本最古の灯台と言われる「灯明堂」跡を見ることができる。里山の自然を体感しながらのトレッキングがお薦めだ。

また、桑原さんによると、五重塔や灯明堂を創建した僧侶の津要玄梁(しんようげんりょう)や、寺下川を利用した水路を掘って開田に取り組んだ八戸藩士の蛇口伴蔵の功績も大きいという。機会があれば、こうした先人が積み重ねてきた歴史を、文献資料などで調べてみたいと思った。寺下観音の自然の魅力だけでなく、時代背景を知れば、より奥深い楽しみ方ができるだろう。

茶屋の手打ちそばもお薦め

散策した帰りには、隣接する茶屋「東門」に立ち寄った。桑原さんは、寺下観音を参拝や観光で訪れた人に、食を含めた地域の魅力を発信しようと、1998年に店をオープンした。青森県唯一の奨励品種で、階上町特産のソバ品種「階上早生」の手打ちそばが看板メニューだ。さっそく、ざるそばを注文。そばの香りと、しっかりとした歯ごたえのある食感を満喫しながら、つるつると完食した。
2013年には、階上岳と山麓一帯が三陸復興国立公園に指定され、環境省が選定する「みちのく潮風トレイル」のルート上にも位置している。この茶屋は踏破認定のスタンプの設置場所になっているので、階上岳の登山と合わせたトレイルの道中に立ち寄って、ほっと一息つくのもいいだろう。

(※本文中の年齢は取材時点)
【デーリー東北新聞社報道部 田中周菜】

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