誰もが「いつか帰りたい」と思うふるさとに。青森なんぶの達者村の取り組み

2018/02/02 - お知らせ | 南部町

ココロココ取材(株式会社ココロマチ)より

南部町は青森県南東部に位置する人口約18,000人の町です。2006年に名川町、南部町、福地村の21村が合併し、現在の南部町となりました。

基幹産業は果樹を中心とした農業ですが、青森の代名詞ともいえるりんご以外に、洋ナシ、桃、ぶどう、さくらんぼなど様々な果物が収穫され、「南部町で育たないものはない」と言われるほどです。

今回お話を伺ったのは、その農業をキーに、地域づくりに関連する様々な事業を展開する「NPO法人青森なんぶの達者村」というユニークな名前の団体です。沼畑理事長をはじめ、理事の根市さん、スタッフとして働く世良さん、沖田さんを訪ね、活動のキーワードである「いつか帰ってきたくなるような“ふるさと”づくり」について伺いました。

 

■年間約2,300名を受け入れる南部町のグリーン・ツーリズム

NPO法人青森なんぶの達者村(以下、達者村)は2012年に設立された団体で、現在の主な事業は3つ。グリーン・ツーリズム(滞在型の農業体験)の企画運営、農業の6次産業化への取り組み、そしてまちづくりです。

 

その取り組みの土台は、町村合併前の2004年に、旧名川町が始めた農業観光。農業の魅力、大切さを子どもたちにも伝えようという町長のリーダーシップで始まり、訪れる子どもたちに対して愛情を注いで受け入れた農家のお母さん方の存在でファンが拡大、合併後も継続して取り組む流れで、達者村が設立されました。

 

現在、達者村が企画するグリーン・ツーリズムには、修学旅行の小中学生のほか、ホームステイで外国人も参加しています。年間を通じて、小中学生で約2,000名、外国人は約300名が南部町を訪れ、農作業を体験していきます。

 

活動のキーワードである「いつか帰ってきたくなるような“ふるさと”づくり」は、こうした活動の中から芽生えてきたと、スタッフの沖田城司さんは語ります。

 

「南部町は、冬場以外は通年で何かしらのフルーツ狩りができるので観光客は来るのですが、町内には宿泊施設が少ないので、観光客が泊まるということはほぼありません。その点、南部町に泊まることができるグリーン・ツーリズムは、まずは町に来てもらうきっかけとして重要な役割を担っているんです。そしてそこがきっかけとなり、泊まっていった生徒さんと長い間年賀状交換が続いている農家さんもいます。社会人になってからバイクで遊びに来てくれた子もいましたね。」

 

沖田さんは南部町生まれの29歳。自身も埼玉の勤務先を退職して地元に戻ったUターン組。町内のイベント等を手伝ったりする中で、まちづくり活動を展開している達者村と出会い、20171月から入った若手スタッフです。

 

「南部町ではカラフルラン(※)というイベントがあるのですが、その運営ボランティアに、修学旅行で南部町に来たことのある大学生が参加してくれました。グリーン・ツーリズム事業では、事前説明のために学校に出向くのですが、経験者であるその学生に同行してもらって、当時の様子を話してもらったこともあります。子どもたちからしたら大学生は比較的年齢も近いので親近感も湧くでしょうし、時間が経ってもこういう形で関わってもらえるのは運営側としてもうれしいです。」

 

※カラフルラン:正式名称は「THE COLOR FRUIT FESTA」。多種類のフルーツを生産している南部町のフルーツを食べ、カラフルなウォーター浴びながら走るランイベント。

 

■南部町で「面白い人」「面白いこと」に巻き込まれて欲しい

「いつか帰ってきたくなるような“ふるさと”づくり」の根幹はどのようにして生まれたのか。代表理事の沼畑俊吉さんは「とにかく若者を巻き込み、チャンスを与えて任せること」が秘訣と語ります。町に縁のある人たちが、南部町に気軽に戻ってきたり、遊びにきたりできるような関係性を構築する。そこには「人も果物も、南部町で育たないものはない。南部町は人材の宝庫」とは胸を張って話す地元の魅力が土台にあります。

代表理事の沼畑俊吉さん

 

沼畑さんは、南部町にいる人たちが生き生きと暮らしていることが、交流人口の拡大にも影響を与えると考えています。

 

「グリーン・ツーリズムでもカラフルランでも、きっかけはなんでもいいので、南部町にきて美味しいものを食べて、面白い人に出会って、面白いことに巻き込まれてみてほしい。その“面白い人材の宝庫”が南部町。そこから次のキーマンが出てきて南部町に関わってくれる。この繰り返しが続くことが大事だと思っています」

 

■「失敗を恐れない」。チャレンジできる土壌をつくる

南部町が生んだキーマンの一人が、現在36歳の根市大樹さん。現在は達者村の非常勤理事として運営に関わりながら、合同会社南部どきという会社を経営しています。

 

根市さんは地方紙に記者として勤めたり、海外を旅したり、様々な経験を積んだ後、2011年からはシェフである弟と2人、八戸市で飲食店の経営をスタート。同時に祖父母から受け継いだ田畑で農業を営んでいました。そんな時に南部町から声がかかり、2012年から達者村の事務局を引き受け、現在の取り組みの土台を作り上げました。

 

現在は非常勤理事として一歩引いた立場にいますが、それにも次の人材を育てるという意志が見て取れます。

非常勤理事として達者村に携わる根市大樹さん

 

「達者村に入っても、3年を目途に次の若手に道を譲るタイミングを考えていました。時機を見て、自分は(給料の発生しない)非常勤理事に退こうと。次の若手が、新しいチャレンジをしていく環境をつくりたい。若手が次々に、自分のように達者村で培ったことを活かして次の道に進めるといいなと思っています。そうやって組織の新陳代謝を図っていったら、南部町で若手が活躍する入り口として達者村が機能すると思うんですよね。」

 

■誰かが失敗しても、支援できる地域でありたい

根市さんの後を受けて事務局に入ったのが、南部町出身の世良智香子さん。東京でデザイナーとして働いていたところ、結婚を機に地元に戻り、2014年から達者村で働いています。

世良智香子さん

 

世良さんが主に手がけているのは農業の6次産業化。名産の南部太ねぎを中心に、最近では町産の梨や桃を、香港などの海外輸出にも取り組んでいます。このほかにも、地元の農業高校の生徒と共同で、南部菱刺しや南部裂織(機織り)といった地元の伝統工芸の技術を活かした商品開発にも取り組んでいて、デザイナーとしてのスキルを活かしながら、チャレンジを続けています。

 

「ここで働いていて面白いのは、高校生や地元の人たちを巻き込みながらいろいろ企画できるところです。地域のいいところを、地元の人や県外にいる地元出身者にどんどんPRしていきたいですね。」

 

根市さんから世良さんへ、そして次の沖田さんへ、バトンが渡されていく素地が整いつつあります。

 

根市さんは、次々と新しいことにチャレンジしてきた自身の経験から、こんなことも話してくれました。

「失敗を恐れない。失敗してもいいんだということを、自分を通してチャレンジする人たちに伝えたいと思っています。むしろ自分が失敗の見本になってもいいくらい。でも、仮に誰かが失敗したら、支援できる環境を作っていきたいと思っています。」

 

■まずは自分たちが楽しくいること。それが帰ってきたい地域づくり

取り組みを通じて、様々な年代の人たちとの交流を深めてきた理事長の沼畑さんですが、特に最近の高校生や大学生の価値観が「地域のために何かしたいと考える子たちも増えてきた」と感じています。ですが、また別の事情がそれを許さない場合もあることを前提に、次のように話してくれました。

 

「町出身で、進学や就職で町を出ていった若者が戻ってくるのは、よほど事情がない限り難しいことかもしれません。生活の基盤が都市部にある人たちも同じ。達者村が移住ではなく交流を大事に考えるのは、そういう個人の事情への配慮もあります。ですが、南部町に帰ってきたいと思った時に気軽に帰ってこられる地域づくりも必要だと感じています。そのためにはまず足元を固めるといいますか、こっちに住んでいる自分たちが楽しくいられるのがいいですよね。生まれた町って、南部町っていいよねと思えるように。そして、その中から次のキーマンが出てきて南部町に関わってくれる。達者村はこの循環を応援していきたいですね。」